淀のながれを くみわけて 水の通い路 いとしげく 煙は高く 空をおおいて 鷺洲の里は にぎわえり
東海道線の橋脚(きょうきゃく)には、昭和20(1945)年6月の空襲で米軍攻撃機による機銃掃射(きじゅうそうしゃ)の弾痕(だんこん)が残っています。
「浦江聖天(うらえしょうてん)」は庶民信仰(しょみんしんこう)の場として親しまれています。 山門(さんもん)は大阪府の文化財にも指定される重要なもので、松尾芭蕉(まつおばしょう)のカキツバタ句碑(くひ)も残っています。
かつてのゴム工場敷地がそのまま団地に変貌(へんぼう)しています。 奥ではタワーマンションも建設中です。
この道路はかつての聖天川(しょうてんがわ)の流路(りゅうろ)を利用しており、大正14(1925)年までは大阪市の境界線(きょうかいせん)となっています。
この辺りに残る昔ながらの長屋は、防火壁「うだつ」が付いています。