わがまち福島区

野田小学校区

変遷
大阪府西成郡野田村大字野田(おおさかふにしなりぐんのだむらおおあざのだ)下福島村大字下福島(しもふくしまむらおおあざしもふくしま)大字安井(おおあざやすい)、大阪市北区(1889)→大阪市北区(1897)→大阪市此花区(1926)→大阪市福島区(1943)

流れも清い玉川の 水面にうつる藤の花 紫匂う野田の里 古いゆかりのあるところ われらはここに手をつなぎ 清く明るく育つのだ 育つのだ

野田2丁目・3丁目(旧野田村)付近

ところどころに蔵の残る旧家もあります。
この辺りは旧野田村の残る中心でした。

長屋の間の狭い跡地に石畳が敷かれているところもあります。
この石畳は工事で現在は原形を留めていません。

野田5丁目付近
中央卸売市場

広大な敷地を占める中央卸売市場(ちゅうおうおろしうりいちば)
安治川(あじがわ)沿いは、かつては 大坂三郷(おおさかさんごう)とされて 町家(まちや)が並んでいました。

野田は近くに銅を扱う工場があったためか、外壁や窓枠、雨どい、 箱軒(はこのき)などを銅板で飾った長屋が多くみられる。

長屋街
野田6丁目付近

環状線野田駅からの 引込線(ひきこみせん) 中央卸売市場(ちゅうおうおろしうりいちば)へ延び、ここを通って全国からの 鮮魚・青果(せんぎょ・せいか)などが市場へと運ばれて行きました。

かつての 木場川(きばがわ)が埋立てで道路となり、明治時代からある工場地帯がマンション街へとすっかり 変貌(へんぼう)しました。